気高きジョウルの膨らみ

去勢された牡猫の睾丸へ捧げる鎮魂歌

もうひとつの「メナムの残照」 クーカム ー コブリとアヌンサワリの物語 ー

Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.
ファランポーン駅前でゴザを敷いて赤酒を売る天秤屋台
インドネシアを旅行して回っていた時、僕が日本人と分かると盛んに「おしんっ!おしんっ!」と呼びかけられた。その度に(おしんじゃねぇしっ)と心の中でうそぶいていたものだ 笑。何のことはない、偶々インドネシアのテレビ番組で放送されていたNHKの連続テレビ小説おしん」が大ヒットしていたということらしい。
 
娯楽が少ない時代のテレビドラマや映画は、現代では考えられないほど人々に影響を与える事がある。僕も子供の頃、ヒーロー物の映画を見た後に映画館を出ると、まるで自分が無敵のヒーローにでもなったかのような高揚感に包まれていたことを覚えている。
 
 
その女の子の事を仮にAと呼ぼう。年の頃は16~17才位?。学校にも行っていなければ、定職があるわけでもない。どうやって日々の糧を得ているのかは、察して欲しい。
 
僕は毎日何するでもなく、昼間からいつものソムタム屋かコーヒー屋台でボッーとしながら定点観測をしていて、それがAがいつもうろついているテリトリーとも重なって、いつしかAと駄弁ったりするような仲になった。
 
ある日、Aが皺くちゃになった便箋を持ってきて、僕に読んで見せろという。見てみると、それは日本語でAに宛てたラブレターのようだった。つまり、Aは日本語の読み書きが出来ないので、僕にその手紙をタイ語に翻訳して欲しいということだった。
 
かいつまんで話すと、手紙の主は日本の大学生で、夏休みを利用してタイに観光旅行に来てAと出会い、一緒に過ごし、休みが終わる頃に日本に帰国したひと。手紙にはAの事を、夢に見ていた南の島の女の子のようだだとか、卒業したら結婚したい等と書かれていた。
 
引っ掛かったのは、何故、タイ人に対して当然のように日本語で手紙を送りつけてくるのか?さっぱり理解できなかった事と、あまりにも安易に結婚を口にしていることで、まあ、イヤな予感しかしないといったところですw
 
でも、Aはすっかり大学生の彼に夢中のようで、僕に会う度に夢見るように日本の事を話題にするようになった。
 
実はその頃、「クーカム」(邦題:メナムの残照)というテレビドラマが何回目かのリバイバル放送されていて大ヒットしていたらしい。
 
見知らぬタイ人が僕の事を日本人とみるや、「コブリッ!アヌンサワリッ!」と呼びかけてきて、その度に(コブリじゃねぇしっ)と心の中で・・・(略
 
ドラマは太平洋戦争当時、タイに駐留した日本の軍人コブリと、タイ人女性アヌンサワリとの悲恋の物語で、Aはすっかり日本人と恋愛関係にあるアヌンサワリと自分とを同化して、ヒロインになりきってしまっていた。
 
ジュライ前のラウンドアバウト
やがて、Aから日本にコレクトコールを掛けたいので、バンコク中央郵便局まで一緒に来てくれと頼まれるようになった。日本に掛ける際の交換手が日本人でタイ語が出来ないので、僕に代わりに取り次ぎをして欲しいということだった。
 
まぁ、予想はしていたんだけども、何度もタイからコレクトコールが掛ってきたら、電話代は跳ね上がりますよね?
 
先方の大学生の親御さんが高額な電話料金に驚いて自体を把握したらしい。ある時から、コレクトコールの取り次ぎを交換手に断られるようになってしまった。まるで、僕がイタズラか嫌がらせで電話しているかのような対応をされてつらかったですよ。
 
だが、もっとつらかったのは、勿論Aだった。彼女は日に日に、見るからに荒れていった。
 
ある時、Aから「ちょっと付いてきて」と言われ、二人でモタサイに乗って(2輪のタクシー、運転手含めて3人乗り)行った先は、薄暗い路地裏だった。
 
男数人とAが何やら話をしていたかと思ったら、直ぐにAが戻ってきた。何をしていたのか?僕には直ぐにピンときた。
 
ヘロインを買うのに女一人で行くのは不安だったので、僕を用心棒代わりに使ったという訳。いくらなんでも、これには僕も怒ってしまった。
 
これをきっかけにAとは疎遠になり、彼女がその後どうしているのかはわからない。